gakepuchioの人生ひとつ身ひとつ

人生ひとつ身ひとつで、
新しいことに挑戦してみるgakepuchio。

約束のテーゼ

gakepuchio。は勝ち負けや競争が子供のときから苦手で、自分のペースで生きることで精一杯。

本当に周りがきちんと見えていないので、勝負したいも何も、そもそも「他者」がいなかったように思えます。

大人になっても相変わらず、身の回りが見えるようになってからも、人と自分を比べるのが得意ではなかったのでした。


gakepuchio。が唯一こだわっていたのは、「どうして?」「どういうこと?」という問いでした。

子供のときから、親や兄弟、学校の先生に色んなことに「どうして?」を聞き回っていたとても扱いにくい子供だったと思います。


本人は真剣な顔をして「どうして?」「どういうこと?」って悩んでいるのですから、救いようがありません。おそらく、というよりは、とても物分かりが悪いタイプの子供でした(笑)

幼い頃には可愛く受け取ってもらえるこの手の問いは、大人になってからは、案外厄介な事態を呼び始めるのですから、互いにもっと困り果てるという(笑)



gakepuchio。もそうであるように、私達はいつのまにか、さまざまな言動に常識、そして主義や主張を植え込んで生活していています。

大人同士になると、とてもとても当たり前のこととされている、ある一定のルールを共有しているという前提で世の中は動くので、その手のルールは私達の普段のコミュニケーションでも当然だと言わんばかりに存在しています。


そのような大人同士の耳にとって、「どうして?」「どういうこと?」は厄介な言葉で、相手との言い争いの種になることがしばしばあります。

そもそも、相手の立場や物事の現状に疑問を呈すること自体、その人への反目や拒否感、配慮のなさを表していると捉えられるのでしょう。



gakepuchio。は子供であれ、大人であれ、素晴らしい疑問を持てる人達が大好きです。

社会的な勝ち負けやその是非にこだわることのなく、自分自身で感じた何かしらの「答え」を見つめながら、誰かに問いかけることで更なる「応え」を見つけ出そうする偉大な魂を持っている人々だと思うのです。



gakepuchio。は祈ります。

私がそうであったように、そんな子供たちが自分を無下にすることなく力強く生きること、を。

誰かに簡単に受け入れられるために、自分自身の大切な疑問を自ら捨て去り、虚しく生きてほしくない、

あなた方に素晴らしい出会いがあるまで、強く強く生きぬいてほしい、と願っています。




        約束のテーゼ


良い人は花びらの根っこを見ないでしょう?

嫌いな色なら、なおさら。(土を掘り起こすな。)


人は花びらの根っこをよく見ないでしょう。

どこにでもあるものなら、当然かしら?(このわからず屋。)


人は良い花びらの根っこまで見ないのでしょう?

たとえ、どんなに美しくても。(当然だろ。)


人は咲いた花の根っこまでは見ないのでしょう。

そこに良い常識があるとしても。

 (もうやめろ。)(誰の得になる。)(止めてくれ。)


-あなたの瞳が直観しはじめてから--あなたの眼差しの切なさを、私は共に生きてる-




                

                 gakepuchio。